岩坂彰の部屋

第48回 変わり種の報道翻訳~放送局に詰める翻訳者

前回に引き続き、友人の翻訳者と対談です。長谷睦さんとは、国内の経済系報道サイト向けにThe Economistなどの記事の翻訳をご一緒させていただいております。2人とも一次訳をチェックする立場にあるので、情報交換しながら仕事を進める仲間 です。ついでにサッカーファンとしての仲間でもあります。

長谷さんは、経済誌の翻訳のほかに、放送局での翻訳の仕事もされているとのことで、どんなお仕事なのか、お話をうかがってみることにしました。



岩坂:長谷さんとは、もうずいぶん長いお付き合いになりますね。

長谷:そうですね。最初にお仕事をするようになったのが2002年ですからワールドカップで言 うと日韓大会の年です(笑)。当時、私は出版社で契約社員の形で翻訳の仕事をしていたのですが、そこの契約が間もなく切れるのでどこか他の会社にも登録し なければと思い、エントリーした先で翻訳の責任者を務めていらしたのが岩坂さんでした。

岩坂:もう10年以上になりますか。今はもう、翻訳責任者という立場ではないのですが、この会社のウェブ掲載の記事の翻訳では、ずっとご一緒させていただいているんですよね。

長谷:はい、そちらで訳す題材はネット系ニュースから経済関係へとシフトしているのですが、 トータルで見るとけっこう長くお世話になっていますね。私も最初は一次訳の仕事がメインでしたが、今は翻訳者さんの原稿をチェックして納品するデスクの仕 事が主になっています。ただ、今やっているニュースは英語表現的にも、背景知識の点でも悩むことが多くて、岩坂さんにご相談している次第です。

岩坂:問題があると、スカイプで話し合ったりしています。具体的なテキストを挟んで、ああだこうだと言い合うのは、私にも勉強になります。

長谷:はい、翻訳の仕事はどうしてもテキストとにらめっこしているうちに煮詰まりがちなので、私こそ、岩坂さんのように普段は指導されているレベルの方にご意見をいただけるのはとても貴重な機会で、助かっています。

岩坂:そんなこんなでしょっちゅう話はしていますが、顔を合わせたのは12年間でも数えるほどでしょうか。前回お目にかかったのは、たしか長居スタジアムでのセレッソ大阪対FC東京戦のとき?

長谷:ネットを介した仕事なうえに、お互いの実住所の距離が離れているものですから、なかなか お目にかかる機会がないですね……2年に1回くらいのペースでしょうか。私が関西にお邪魔するのはほとんどサッカー観戦が目的なので、岩坂さんとお会いす るのもサッカーでお互いのひいきチームが対戦する時にスタジアム近くで、ということになってしまいます(笑)。前回は確かに去年のセレッソ対FC東京の試 合後でしたね。あとは2011年の天皇杯では、まさにカップが展示されているところで待ち合わせして打ち合わせ、ということもありました。

岩坂:そうそう、あのときはFC東京が初めてACL(アジア・チャンピオンズ・リーグ)に出られるかどうかってときで……
  えーと、この話は別の機会に譲るとして、仕事の話です。

長谷:そうですね、このままだとサッカー話で終わってしまいそうですから。

深夜の放送局で時間との勝負

岩坂:私たちとやっているウェブ掲載の記事以外では、どんな翻訳をされているんですか?

長谷:普段の仕事で言うとウェブのニュースサイトの仕事があと1つ(サッカー関係です)あるの と、あとは雑誌(エンターテインメント関係)、それと某放送局の仕事ですね。作業時間で言うとウェブ系50%、雑誌20%、放送が30%くらいでしょう か。もとは雑誌の仕事がメインだったのですが、仕事の多い方に移行していった感じですね。ゆえに翻訳対象もあまりまとまりがなく今に至ります。
  放送局と言うと同時通訳の仕事ですか?とよく聞かれるのですが、あれは特別な訓練が必要な技能なので、私にはできないです。

岩坂:では、放送局では、具体的にどのようなことを?

長谷:大きく分けて、毎月事前にスケジュールが決まっている定例の仕事と、ニーズに応じて依頼が来る不定期の仕事の2つがありますね。
  私が仕事をしている放送局では英語の翻訳者がニュースセンターに24時間、3交代で常駐していまして、こちらが定例の仕事です。私は深夜~朝にかけて の8時間を月2、3回担当しています。仕事内容は各国から送られて来るニュース映像の翻訳です。事件の取材映像や要人の記者会見などのニュース映像が随時 送られてきますので、これを見て概要を訳すのがメインの仕事です。その後、スタッフの方と相談してニュースで使う場所を決め、テロップの内容を決めていき ます。
  また、特集などで事前にあらかじめ構成が決まっているものの映像チェックもあります。これは編集された映像を見て、原稿やテロップと実際に使われている映像がきちんと合っているかをチェックします。
  何しろ英語のものは全部なので政治経済から科学系まで、行ってみないと何が出て来るかわからないですね。今だとウクライナや中東情勢がホットな話題 で、アメリカの要人の会見内容などを訳していますね。これまでを振り返っても、海外の王室の婚約発表から、国際手配されていた容疑者逮捕まで、硬軟とりま ぜて本当にいろいろありました。私が体験した中で一番大変だったのはSARSか何かが流行っていた時の研究者のコメントを訳す、というものでしたね。予備 知識が乏しくて焦りました。
  しかもオンエア時間は決まっているので、時間との勝負という部分も大きいですね。突発的な事件の場合は第一報から状況が刻々と変化しますから、最初使うはずだった素材から差し替えが入り、訳し直しというのもしょっちゅうです。

岩坂:うーん、けっこう厳しい仕事ですね。

長谷:記者会見や国際会議など、自分が担当する時間帯に発表がありそうなものはあらかじめ調べ ていきますが、突発的に事件が起きるとなかなか大変です。というわけで、テレビを見ていて速報ニュースが入ると「今日の担当の方は大変だなあ」と思うクセ がついてしまいました。逆に何も英語関係のニュースがない、英語圏以外や国内で大きな事件が起きた、あるいは台風が接近している、といった時には具体的作 業がほとんどなく終わってしまうこともあります。

岩坂:なんとなく、ああいう報道では素材を全訳しておいて、スタッフが適宜編集するのかと思っていたのですが、最初から概要と編集で入るんですね。

長谷:はい、ニュース映像の場合はとにかくオンエアまでの時間が限られているので、全訳していると間に合わないんですよね。なので概要を伝えてどのへんを使うか、ある程度あたりをつけて編集、という形になります。
  こうした定時の業務は1カ月前くらいにはスケジュールが固まっているのですが、これとは別に不定期で依頼がくる仕事もあります。こちらは放送局に出かけていって映像を訳すものと、自宅で放送に使う素材や取材のための事前資料を訳すものの2通りがあります。
  前者はスポーツ関係(ビッグゲームの前後の記者会見など)で定時のニュースに間に合わせたい、というパターンが多いので、やることは上記のニュースセンターの仕事とほぼ同じです。
  自宅で仕事をするパターンの場合は、たいていは締め切りに余裕があるので、比較的得意な分野(スポーツや映画、音楽関係)を回していただけることが多 いですね。もともとはこっちの仕事がメインだったのですが、いろいろやっているうちに、先方から「深夜シフトの人手が足りないのだが、君は夜は強そうだか ら来てもらえないか」という話をいただき、定時の仕事も受けるようになりました。

岩坂:そういえば、ワールドカップも深夜にライブでご覧になってましたものね。

長谷:自宅仕事の場合は、岩坂さんがおっしゃるような、素材を全訳して渡したら、あとはスタッ フの方の判断におまかせの形が多いですね。1時間分訳したのにいざオンエアを見たら使われているところは1分もなかった、ということもままあります。た だ、ディレクターさんによってはテロップや吹き替え原稿のチェックを希望される方もいるので、その場合は編集作業に立ち会う時もあります。
  あれは試合を見始めるとついつい終わりまで見てしまった、という感じでしたが、 もともと朝よりは夜の方が得意なのは間違いないです。それはともかく、 自宅仕事の場合は、岩坂さんがおっしゃるような、素材を全訳して渡したら、…

求められる編集的感覚

岩坂:最近は報道系の翻訳で、概要とか、抄訳とかを求められることが増えてきました。放送の場合は時間的にどうしてもそうなるということはあるでしょうけれど、読者の側の要請や、コスト的な理由で短くするということもあるようですね。
  私の感覚では、納品原稿が短いからという理由で値段を下げられるのでなければ、どっちでも結局は一緒という感じなんですが、長谷さんはどうですか?

長谷:メディア系の翻訳の場合は文芸とは違うので、もとの文章の細かいニュアンスを伝えるというよりは 英語の素材に入っている情報を手っ取り早く伝えてくれ、というニーズが特に最近は多いように思います。概要や抄訳は翻訳とはまた別物で、編集のスキルが必要になってきますね。
  個人的には、正直に言うと、いっそ全訳した方が多少作業時間は増えても自分で価値判断しなくていいので気分的には楽ですね。抄訳の場合、「これで必要な内容をちゃんと伝えきれているのか?」という自問自答がいつもつきまとうので…。
  でも、これからのメディア系の翻訳者にはテーマをつかんで要約する能力が特に必要なのだろうとは思います。

岩坂:まあね。全訳のほうが気が楽って気持ちは分からないでもない。でも、全訳だってほんとは全部、すぐに要約とか注解とかできるくらいの判断を常にしながら訳さないといけないんじゃないかと思うのですよ。
  そういうのは言葉の端々に表れます。私たちの共同作業の中で、1次訳を一緒に見ながら、このbutは「しかし」なのか「ただし」なのかなんて話をよく しますけれど、そういう視点というのは全体の流れを読む視点で、そういう読み方をしていれば、そのまま要約できるってことじゃないでしょうかね。実際、長 谷さんの翻訳やチェック原稿を拝見していても、そこらへんはちゃんとされているように思えますけども。

長谷:やっぱり翻訳者の端くれとしては、訳しにくい部分をいかに日本語にするかをあーでもないこうでもないと考えるところに醍醐味を感じる部分もあるので、全訳はけっこう好きなんですけどね。ただ、編集的な技量はメディア系の翻訳者には必要なのは自覚しています。
  具体的なテキスト内の読み込みで言うと、ニュースの翻訳の場合は接続詞とか時制といったところが大事になってきます。当たり前じゃないか、と思われる かもしれませんけど、意外にそこでつまずく翻訳者の方を目にするんですよね。今後の予測について書かれた部分がもう起きたことのように訳されていたり、そ の逆だったり。岩坂さんと相談していてもけっこうその手のことが話題になりますね。ノンフィクション系の翻訳に共通することかもしれませんが、記事内の論 理の流れを読む力が必要、ということですね。それが編集、要約力ともつながってくるのかもしれません。
  それに加えて、背景情報としてこれまでの報道の流れが頭に入っていれば、この記事の今までと違うところはどこなのか、というのが見えてきますので、抄訳、編集の際には役に立つと思います。

岩坂:いかに日本語にするかっていうところも、結局、論理の流れとか、筆者の目的(「この記事 はなぜ今書かれているのか」)だとかを突き詰めることで解決すると私は思っていて、それがノンフィクションに求められる翻訳力だと考えてます。要約や編集 は、その結果としてできるはず、ということかな。

報酬体系は?

岩坂:ところで、放送局の話に戻りますが、そんないろんなやり方の翻訳が混ざると、ワード単価というわけにはいきませんよね。報酬はどんな形になるのでしょう。差し支えのない範囲でお教えいただければ。

長谷:これは簡単で、現場に出向く場合は時給です。ただしミニマム○時間という規定があるので たとえ30分で終わってもある程度の金額はいただけます。時給はたまーに見直しがあるので、翻訳者によって多少の違いがあるのだと思いますが、他の人の金 額は聞きようがないので何とも言えないですね。あと、深夜帯、急な出勤の場合は多少の割り増しになります。
  自宅で映像や資料を訳す場合はごく普通に、出来上がった日本語の枚数換算です。
  レート的には悪くないとは思いますが、ただ時間が不規則でいつ呼び出されるかわからないのと、締め切りが厳しい仕事が多いのでけっこうシビアな業務ではあります。月によって報酬額にはかなり上下がありますね。

岩坂:では、拘束時間と実作業時間の組み合わせプラス実翻訳量ということでしょうか。

長谷:そうですね、特に定時の仕事の場合はすごく忙しい時もあれば、先ほど言ったようにまったく英語圏のニュースがない時もあるので、すべてを平均して考えると時間+翻訳量という計算方法はまずまずリーズナブルだと思います。

岩坂:報道に関わる場合、仕事量に変動が出るのは仕方がないというか、もともとそういうもので すからね。トータルで考えるしかないでしょう。で、トータルで、生活を支えるだけの収入になってます? つまり、仮にフルタイムでそれをやったら、生活し ていけるだけの報酬になっているか、ということですけど。

長谷:フルタイムでやれば十分生活していけるくらいの額にはなるはずです。実際、たまに他の翻訳者の方に仕事場でお会いするのですが、完全にここ専業という方も見かけますね。
  私は小心者なので、仕事が突然来なくなったらどうしようという心配があり、とても1社に絞る気にはなれませんが……。というか、それだとサラリーマンと何が違うのだろうかと思ってしまいます。
  フリーランスの翻訳者はサラリーマンのように従業員としての立場が守られているわけではないですから、1社に絞ると、相手に理不尽なことを言われたり されたりしてもノーが言えなくなり、結局こっちのためにならないのではと思います。生意気かもしれませんが、どのクライアントに対しても、何かあれば「そ れはおかしいのでやりません」くらいのことは言える立場でありたいですね。
  まあ現実はどうかと言うと、よっぽどのことがない限り頼まれれば引き受けちゃうわけですが(笑)。

岩坂:お、それはいい心がけです。「言える立場でありたい」の方ですけど。私もそうありたい、と思っています。

貴重なお話、どうもありがとうございました。

(初出 サン・フレア アカデミー e翻訳スクエア 2014年8月18日)